祈りは神に語ること
祈りとは、神と語ることに他なりません。神に語ることが、私たちの第2の天性になるようにと願います。
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祈りとは、神と語ることに他なりません。神に語ることが、私たちの第2の天性になるようにと願います。
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人間の持つ言葉というものは、人間同士で語るためにしか使わないものだと思われるかも知れません。しかし「人間の言語は神と対座して、神に語るためにも用い得るものだ」と悟られたら、これは皆さんにとって大発見です。
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人に語らずして、神に語り、神に聴け! 実にこと、信仰に関する限り、他人の信仰論の借り物では訳に立たぬ。神に直に聴いた智恵でなければならぬ。
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「モーセは神と、もの言いしによりて、その顔が光を発つ。人々恐れて近づかず」と。私たちがこのように直に神と祈るときに、神秘な栄光と能力と権威を神から授かるのであります。
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「ずいぶん、私は祈るのですが、なぜ全然、応験がないのでしょうか」「私たちにとって大切な心得は、私たちが捧げる祈祷の質であって、その量にない。その熱と力にあって、その言葉と形式にはないということです。」祈りの根源が奥深いほど、私たちの内に湧く霊力は強い。
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私たちは、なぜ日々祈って生活せねばならぬか。それは時々刻々、移りゆく地上の社会に対して、最も適切に各自が対応し、天意を地に映すためであります。祈って天を仰がなければ、天父の御旨も分からず、聖霊の光を新鮮に呼吸することもできないからです。
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私たちは、なぜ日々祈って生活せねばならぬか。それは時々刻々、移りゆく地上の社会に対して、最も適切に各自が対応し、天意を地に映すためであります。祈って天を仰がなければ、天父の御旨も分からず、聖霊の光を新鮮に呼吸することもできないからです。
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無我夢中、一念不動の願望を神に賭けて、消極的な考え方や否定の声を退けよ。すべて奇跡の主に期待せよ!
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救い、癒やす主は、霊界のキリストであって、自分の霊力や信仰力をたのんではならない。
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この年の展望を私たちはただ夢のように描くのではない。神の霊界を動かすように祈ることです。神の霊に刻みこむようにも祈るならば、神の力が発動します。
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人間は時間、空間を越えて、未来に生きることができます。信仰はすでに未来を信じることです。現在から未来を考えるよりも、未来を決定して、現在をその未来の方向に持ってゆく。これを信仰生活という。
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神の愛を信じていたら最善しかない。そう思っている心には不思議が起きてきます。心は自然に必要なものを集めて、信ずる如くなります。これが祈りの大切な工夫であります。
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キリストが癒やし、神が保護して下さるからには、きっとよいことが起こるに決まっている。初めから感謝し満足していたら精神的に寛ぎ、余裕があります。これが信仰のあり方です。生き方です。
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現代の人たちは、昔の日本人が知っていたような精神的生き方を知りません。一つの思いに生きることが、いかに幸福であるか、を知っておりません。これがわからなければ信仰はどうしても全うしない。
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キリストはいつも、「なんじの信ずるごとく、なんじに成れ」と言って祈られたが、皆さん、弱い現在の自分、不足な自分を見ないで切り離して、自分はどうありたいのか、心の画像をイメージなさることです。
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現在のように、テレビ、ラジオ、映画、新聞雑誌から、洪水のように雑音が絶えず私たちの脳ミソに入ってくる時、心を整理せねばならない。して善いことと悪いこと、それをはっきり区別して取捨選択する。
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「信じる如くなる」、この一年こうありたいと願いましたら、その願いに向かって、もう不必要なことは絶対に考えない。信仰にとって、「ただ一路に生きぬく」ことが大切であります。
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多くの人は、ほとんど無目的に生きている。「我は何をなすべきか!」と神に問うて生きる人はほんとうに少ない。
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深き祈りは、前人未踏の神秘境に私たちを駆りたてる方法です。私たちは土の器でしかないけれども、宝をこの内に持ちたい。さあ、宝をさがしに、思い切り帆かけて、遠く沖へ沖へと魂の舟を漕ぎ出して、優れて大いなる力を神の懐から引っぱり出そう。
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初一念を貫く。希望があなたの信仰を助け、あなたの願いがあなたを完成します。大切なことは、自分がどうありたいかということを具体的に心に描くことです。
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キリストに期待する心のないところ、希望、願望のないところには、力ある業も生起しません。私たちの心の呼び声に応じて神も助けてくださる。
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深い心の内部に向かって、積極的にイメージを送り込め! よきイメージ(想像)を描け! よき想像がよき創造を作りあげる。
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私たち人間は他の動物と違って、考える動物です。思う動物です。何を考えているかということによって、その人が決まってきます。
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今日考えていることが、明日の原因となります。今日、お互いがイメージしていることが、今年一年の、さらに未来の結果を作り出す。
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今日考えていることが、明日の原因となります。今日、お互いがイメージしていることが、今年一年の、さらに未来の結果を作り出す。
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大切なことは、まず新年にかけての問題として、この一年、否、残る私たちの生涯をかけて、何を希望して信仰を励ますか、ということです。信仰は生命のことであります。そして生命は、希望によって伸びるのですから。
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一年の計は元旦にあり。どうぞ具体的に、ありありと未来を夢見てください。祈りはイメージでなければなりません。自分のありたい姿をはっきりとありありと描くことです。
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