魂のつながりをもつこと
神との交わりには、特別の時刻や時期、姿勢、身振りなどを全然必要としない。外的な用意はかえって妨げになることが多い。最も大切なのは、われらの主とたえず魂のつながりをもつことである。
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神との交わりには、特別の時刻や時期、姿勢、身振りなどを全然必要としない。外的な用意はかえって妨げになることが多い。最も大切なのは、われらの主とたえず魂のつながりをもつことである。
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主イエスは十字架に死ぬ前夜、「わが誡命(いましめ)はこれなり、我が汝らを愛せし如く、互いに相愛せよ。人その友のために、自己を捨つる。これより大いなる愛はなし」と、弟子たちに最後の遺訓を残された。私たちも愛に殉じて、十字架の犠牲を喜ぼう。
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イエス・キリストの名こそは、黄金以上の価値であり、光彩である。「黄金に比ぶるも、多くの純精金(まじりなきこがね)に比ぶるも、いやまさりて慕うべき」(詩篇19・10)は、主の聖名である。
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全能の神霊に信頼して生きる我らは、何ら不安がない。神の保護を信じ、自己を誇って「随所に主となれば、立処(りっしょ)みな真」と成して行けるのだ。「人間は神の子、神の像(かたち)である」。神の王子らしく生きよ!
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キリストは「永遠の生命」である。キリスト人は、すべからく永遠の青年であれ!肉体は老いても、霊魂は老いることを知らない。いつもみずみずしく新鮮だ!
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光は真理の象徴である。キリストは“曙(あかつき)の明星”である。神の栄光である。光のあるところ、明暗がはっきりして、何が真実であるか、虚偽であるかが、明らかとなる。
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愛は自己を焼きつくすエネルギーだ。神に愛される愛をもって、自分を忘れ、自分を失うほどにも、隣人を愛してゆこう。愛は自分を燃焼する。愛の燃焼は強く眩い。
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「主の御霊のあるところに、自由あり」。主に信頼して生きる者は、主体的に自己を確立する。
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主イエスは叫んで言った、「だれでも渇ける者は、我に来りて飲め。我に信ずる者は、聖書に言う如く、その腹から生命の水が川となって流れ出るであろう。これは信者が受けようとする御霊をさして言いたもうたのである」と。腹の底から、生命の水を湧かす人間であれ!
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「光あれ!」と自分に、幾度も幾度も言い聞かせるならば、あなたの人格に光が輝き出で、世の光として、周囲の暗黒を照らし得る光の子となれるのだ。神は“光”なのだから。(ヨハネ第1書1・5)
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Be Love! 愛にあれ! 愛であれ!「愛は神から出る。すべて愛をもつ人は神から生まれる。愛なき者は、神を知らず、神は愛であるからである」。神を愛し、神に愛されて生きる者がキリスト人である。
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Be Lord! 主よ、在り給え! 主で在れ! キリストは「我は主なり」と言い給うたが、主の臨在あれば、私たちも、また「主の子」らしく、運命の主人公として、運命を支配し得るのである。
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Be Life! 生命あれ! 生き生きとしてあれ! いつも、神の根源的な生命にあふれて、情熱の血を赤々と燃やしてキリストを生活してゆこう。
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「光あれ!」と神言いたまいければ、光があった。私たちは自分に対して、かくあれかし、と思うことは、その如くなる。思念するエネルギーは具象する力をもつゆえに、“汝の信ずる如く、汝になれ”と主イエスは言われた。
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どんな粗末な器でもよい、私たちの価値は器になく中味にあるのだ。人間が神霊の容器であるところに、宇宙的な存在価値がある。
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信仰とは、何か高遠な宗教哲学を信じてみたり、難解な教理を信奉することではない。生けるキリストに従って、偕(とも)に歩くことです。主キリストに従って旅する、神人協力の生活のことです。
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祈りによって神の計画を変えることはできない。そうではなく、祈りの人自身が変えられるのである。
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神に従って生きておれば、「時期が来れば実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところはみな栄える」。生命の川の水がぐんぐん魂を潤すからです。
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ああ貴神(あなた)こそ、われらに生命の光であり、愛と叡智の根源であり給う。願わくば、今日も聖顔(みかお)の光を仰がしめ、心の暗黒を駆逐し大光明で包み給え!
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人間は何を喜びとするかによって、その人の内なる性質がわかります。神に祝福された人はまず何でわかるかというと、「ヤーヴェの御指図(トーラー)を喜ぶ」という点です。
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信仰が成長してきますと、自分の祈願でなくて、祈りの中で神が御自身の企画を示し自らそれを実現成就してくださるのがわかってきます。
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もしあなたが人生の幸福を望むならば、自分で福音書のうちに、とりわけキリストみずからの言葉のなかに、求めなさい。キリストの言葉と比べられるものは、どんな哲学にも見いだすことができない。
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内なる真我生きづかずして、他を愛する余力もあり得るものでない。霊の成長にまって愛も大きさを加える。信仰と愛は一つのことである。
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6月4日
愛とは自分の霊魂を殺すことではない。外なる我を捨てることであっても、内なる我を殺すことではない。内なる神性(内在のキリスト)を切に養護せよ。 (手島郁郎『霊性の発芽』より)
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祈りと瞑想によって自己の内部の霊は発芽する。霊性の発芽は愛の伸長である。神の光に直面することなくして、自己は伸びぬ。自己が生長せずして愛は伸びない。
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人生に挫折し傷つきひるむ箇所こそ、霊の接触点なのであって、その傷口からキリストの御霊の血潮がその人の魂に注ぎ込まれるのであります。人生の受難にひるんではなりません。
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祈りとは、いわば聖霊の中で呼吸することである。祈り深い人の生命に神が自分の聖霊を吹き入れるので、彼らは『生きる霊』となる。
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