神の王子
あなたは神の王子、神の王女であるプライド(誇り)に生きよ! Be Lord! と、朝夕、自分にかけ声かけても、王者の如く、独立、自由の存在として生きよ。
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あなたは神の王子、神の王女であるプライド(誇り)に生きよ! Be Lord! と、朝夕、自分にかけ声かけても、王者の如く、独立、自由の存在として生きよ。
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神様が我らに神の子たる権を授けられたことほど、人間に最大の特権はない! われらは模造(イミテーション)の代用で満足したくない。真実に神の子でありたい!
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祈りは単純、かつ誠実に、すこしも形式にこだわらずに、なされねばならない。それだけでなく、なお祈りに対する神のお答えを聞くことができなくてはならない。そのためには、日常の騒々しさや利己心に少しも妨げられない、微妙な心の耳が必要である。
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サタンの囁きしげき人生の巷間(ちまた)に立ちて、私も眉を揚げて祈ります。
「キリストよ、一層強く貴神(あなた)の誘惑にかからしめ給え! 貴神に導かれてのみ、私は暗きを歩まず、生命の光をもつからであります」と。
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水なくして、如何なる生物も生き得ない。「水なく燥(かわ)きおとろえた地にある如くに、我が霊魂渇くとき」(詩篇63・1)生ける水の源なるヤーヴェ(主)を慕わしめ給え!
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一たび聖霊のいぶきにふれると、俄然と魂がうごめき出し、聖なる衝動は潜在意識の底をつき破って奔流し、何ものも抑えきれない物凄いエネルギーを現して来ます。
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神は愛です。すべて一視同仁に取り扱い給う。すべての人が天国に入ることを欲し給う。とは言え、自らの魂に苦悶して、霊的な世界を拒絶する人々を、強制的に天国に拉致することは、天使たちの耐えうることではありません。信仰は人間の自由意思に委ねられています。天国を閉じるのも、天国に入るのも、その人の実存状況次第です。
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霊的な人間の性格は無邪気であり、自由であり、軽快である。 Be Light! 光の子らしく、軽快であれよ!
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嘘と偽りの多い世の中、何もかもわからなくなるような世の中、しかし神の驚くべき愛の導きに打ちまかせて、ただ天を仰いで生きる者は、この世とは違う歩み方をする。そして違う天の声を聞きます。
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祈りとは、いまだ事ならざるに、ある事を感じとるものです。多くの人は現実に直面してからあわてふためく。しかし、祈りの人は現実が起こる前に、それを先見することができます。
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全力をふりしぼって自分の声のかぎりに祈り叫ぶ、ハッキリと声を 主に向けて、祈りの方向を明確にすると、神は霊であるから、答えてくださります。
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ペンテコステは今も繰り返す。「ヤーヴェの言わが心にありて、火の我が骨の中にとじこもりて燃ゆるが如くなりたれば、忍ぶにつかれてたえがたき」(エレミヤ書20・9)までに、聖霊の火よ、わが生命を燃焼なし給え!
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キリストがヨルダン河でバプテスマを受けられた時、天より声があった、「我が最愛の子よ! われ汝を喜ぶ」と。私たちも神に喜ばるる、最愛の子でありたい。神の寵児でありたい!
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使徒パウロも言っている、「神は、汝らの内側に働く力であって、汝らに志望を立てしめ、善き業を行わしめ給う」と。
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生命は成長する。生命は進化向上する。我らこそ生命の言を保ちて、この世に輝く発光体なのだ!(ピリピ書2・15)Be Life! 私たちこそは「生活の太陽」だ。いつも神の子は生き生きとしてあれ!
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すべての生きとし生けるものは、光に向かって、生長する。ヒマワリのように、心の太陽を求めよ。私たちは、いつも光の中に自分を置き、理想の光を掲げて前進しよう。キリストは生命の光である。
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愛は孤独に耐えられない。愛は孤立できない。個人主義であることを好まない。愛とは二つの体に一つの霊が宿ることだからである。一つの聖霊、キリストに生かされる私たちは、一つの共鳴、合歓に魂がはずみ、ハートは踊る。
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もし私たち幕屋の友に、聖霊の交流せぬ病める霊魂あるならば、「我が身をもてキリストの患難の欠けたるを補う」(コロサイ書1・24)ほどに、愛の疼痛が私に感ぜられて来なければならない。省みよ、友の霊魂を!
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光の中を歩む者は、つまずかず、道を間違えることもない。キリストは世の光である。キリストに照らされて、私たちは善悪を弁えることができる。
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